日々のつぶやき(21年2月28日)
・どうやら、自分は被害者意識が強いらしい。
→何か自分の思い通りにならないと人や物のせいにすると言われた。
⇄完全に同意するわけではないが、当てはまる節はある
・そして、これは、主体性と関係しているのではないかとも考える
→仕事は当然「やらされ仕事」が多い
→ポジティブ教のように、「やらされなど存在しない」と言うのは欺瞞だ
⇄しかし、例えば、ダイエットのためにジムに行ったり、絵画教室や楽器教室に行っても、段々とやらされ感が出てきて、被害者意識が芽生えるのは何故だろうか?
・ダイエットの場合、たしかに三度の飯より好きな酒を我慢しなければいけない、食べ物も好きに食べられない苦痛がある
→テキ村氏に言わせれば、自分のwantとしてダイエットしているのに、やらされ感が出るのはおかしいと言う
⇄しかし、メチャクチャ議論を巻き戻せば、そもそも痩せている方が良いという社会的認知があることとか、食ったら食った分だけ太ると言うこと自体がおかしい!と問題提起できる
⇄そして、社会的認知はさておき、アメリカ等では「食ったら太る」という仕組み自体にメスを入れて、胃袋や小腸を切り落として、食べても太らない体を手に入れる手法があるらしい
→話は逸れたが、ダイエットは「やらされ感」が出るのはある種、まだ想像しうることだ
・一方、絵画や楽器はどうだろうか?
→誰にも強制されず、自分がやりたいからやっているはずなのに、「やらされ感」が出るのは何故?
→一つは、教える側のカリキュラムに沿って行うために、必ずしも自分の意向が反映されないことだが、これは自分の意向を伝達しなかった自分にも非があると言えよう
⇄それとは別の問題で、そもそも「絵を描きたい」とか「楽器を弾きたい」という当初のwantが、いつの間にか「上達し"なければならない"」という命題にすり替わっていることだ
→更に言うのであれば、カウンセラーと話すまで気づかなかったが、個人で楽しむだけなら独学でも良かったはずだ。何故、教室に行かないといけないのか?
→ここでは、「最短距離で」「上達」「しなければならない」という命題にすり替わっていることが分かる。仕事でもないのにだ。
⇄頭の中でいつの間にか命題がすり替わるのは、恐らく私の脳内の敵がそれをしているんだと思う
ここまで分析したものの、問題はその先、どう対処するかだ
→一つの方法として、今やっていることは、やらされているのではなく、自らの主体的な意思で行なっているのだ、これは私のwantなのだ、と自分を鼓舞することだ
少なくとも、筋トレや風呂掃除ではこの方法が通じ、パフォーマンスが劇的に上がった
→自分の脳味噌のクセを理解し、うまく騙しながら、自分の能力を最大限発揮していきたいと思った
全てneedではなく、wantなのだ。肝に銘じておこう